- アレグザンダー・ケイ(作)、内田庶(訳)、小坂しげる(画)、『[新装版] 残された人びと 《アニメ《「未来少年コナン」原作》』、1974(第1刷)・2001(復刻版)・2012(新装版)、岩崎書店(発行)、復刊ドットコム(発売)、ISBN978-4-8354-4905-0 C8397
- Alexander Key, “THE INCREDIBLE TIDE”, 1970.
ついに読みました。原題は「残された人びと」ではなくて、信じられないほどの高潮、つまり、「大津波」だったんですね。
昔々、NHK初のアニメーション「未来少年コナン」が放送されたのが、Wikipedia によると、1978年(昭和53年)のこと――そんなに昔でしたか。その数年後に練馬区立大泉図書館の文庫本で原作の「未来少年コナン」を読みました。これが宮﨑駿のアニメと違いすぎて衝撃的でした。まるで違う話で、あのアニメの原作なら面白いに違いないと期待して読んだら、暗すぎて打ちのめされました。ネクラという言葉が流行っていたころのことです。いまでこそ宮﨑駿の名前はだれでも知っていますが、私が初めて認識したのは映画「風の谷のナウシカ」で「未来少年コナンの」という宣伝文句からです。
当時読んだ文庫版は児童書ではなく一般のコーナーにあったので、いま検索してみると、角川文庫版ではないかと思います。角川文庫のサイトで見つかりませんが、古本はなかなかのお値段です(2,755 円より)。
いつのまにか図書館からはこの本がなくなっていて、本屋でアレクサンダー・ケイと書いてあっても宮﨑駿版ばかりなのでした。年月を経て読み直すと違う印象を持つことが多いので、いつかまた読みたいと思っていました。復刊ドットコムから発売ということは、同じようなことを感じていた人が多いのでしょう。
アレグザンダー・ケイ原作の翻訳を読みなおしての感想ですが、やはり、楽しみたい人には、宮﨑駿のアニメ「未来少年コナン」だけにしておくことをおすすめします。宮崎監督の想像力と才能を確認したければ、読む価値はあります。この原作から、どうやればあれだけのすごい作品を生み出せるのか、興味は尽きません。読んでいて、ところどころ、アニメのシーンを彷彿とさせるところがあります。この辺りを読んで宮崎監督がイメージをふくらませたのだなというのが、視覚的に迫ってきます。
原作の話の作りはジュブナイルです。アニメ版に比べれば単純なストーリーで、登場人物の描写も主役のコナンやラナ以外はあっさりとした描き分けになっています。書かれた時代背景を考えると、やや宗教的ではありますが、よくある設定とプロットの終末テーマSFで、冷戦下の西側世界の視点から書かれています。昔読んだときは冷戦の最中で当たり前の雰囲気でしたが、今読むと時代の変化を感じます。
ケイの原作は1970年(昭和45年)、東西冷戦のさなか、アメリカで書かれた作品です。当時、アメリカとソ連の全面核戦争・第三次世界大戦でいつ地球が滅んでもおかしくないという緊張下にあり、また、重化学工業の最盛期で公害問題も深刻でした。そんな世相でしたから、将来に悲観的な終末テーマのSFが多くありました(個々の作品までは覚えておりませんけれども)。ケイの作品も、磁力兵器による東西陣営の最終戦争の大津波でほとんどが海に沈んでしまったのに、それでも生き残った人びとが覇権争いを続けているという終末テーマのSFです。テレパシーが重要な鍵になっていますが、当時のSFでは一般的なものでした。日本でもユリ・ゲラー(Wikipedia)が大ブームだったころ(1974)で、SFでは(世間でも?)超能力が科学的とみなされていました。機動戦士ガンダム(1979)のニュータイプも超能力者の言い換えですしね。
(以下、あらすじ。ネタバレ注意)
磁力兵器による東西の最終戦争以来何年もコナン一人が暮らす小島(アニメの残され島)に、旧〈平和同盟〉の「まっ赤な三角旗」をつけたパトロール船が登場します。その船には〝新社会〟 の市民ドクター・マンスキーらが乗っていて、西方人の偉大な科学者ブライアック・ローを捜索していました。コナンの若さと体格のよさを見て、マンスキーらは〝新社会〟のインダストリアに連れて行きます。インダストリアは平和同盟がつくろうとしていた化学都市でした。インダストリアの労働長官のもとには眼がどんよりした市民レプコ、造船小屋には囚人の老いぼれパッチ(パッチー)や助手のテリットがいて……。
一方、ハイハーバーにはコナンの幼なじみラナが、おばさんのメイザル、その夫で医者のシャンと暮らしています。そのころ〝新社会〟のダイス長官が貿易交渉に訪れており、コミュニケーター(テレパス)能力を持つメイザルが父のブライアック・ローから指示を受けて、シャンが対応しています。ハイハーバーでは、救出されて集められた子どもたちが大人になりつつあり、オーロが実権を握ろうとしています。ジムシイはラナ寄りの子です。ダイスはオーロと組もうとし……。
インダストリアを脱出したコナンとパッチこと科学者のブライアック・ローは、追跡してきたマンスキーとともに嵐で遭難、ハイハーバーへ向けて筏で出発します。ラナとコナンの間ではアジサシのティキィが絆になって、方位磁針の使えない海を渡りきります。「声」はコナンをリーダーに、それをマンスキーは助けるようにと語りかけます。コナンとオーロが争いになり、そのとき、ブライアック・ローの予測通りに大津波が襲いました。(終わり)
(以上、あらすじ。引き続きネタバレ注意)
登場人物の名前がアニメと原作で違っているようです。アニメのモンスリー女史は、原作で外科医の市民ドクター・マンスキーです。ソ連人を連想する名前ですが、女性なのでマンスカヤさんになるのではないかと思いますが、もっとも、言葉がふつうに通じているので、英語流にマンスキーの姓で固定しているのかもしれません。ラオ博士もブライアック・ローですが、読み方の違いですね。レプカも市民レプコですが、この人の場合は原作での存在感が希薄です。
設定の違いとしては、原作で、主人公のコナンとハイハーバーのラナとラナのおじいさんブライアック・ローは生まれた時からの知り合いで、最初の数ページでこのことが判明します。ラナはずっとハイハーバーにいて、コナンと再会するのは物語の最後です。アニメでは、コナンが生まれて初めて見る女の子(というより、初めて見る子供という存在)がラナで、一目見て守ろうと決心するほどの美少女という設定(のつもりだった宮崎監督が、そうでない絵でできあがってきて愕然として、その後修正しまくったという逸話がありませんでしたか)。
原作でコナンは、「声」に導かれることで無人島で生き残って強靭な体になり、声でインダストリアに渡ってブライアック・ローを救出し、声にハイハーバーのリーダーになれと言われます(たぶん、リーダーとして受け入れられる)。受難の人びとが、神の声が聞こえる人――預言者に率いられるパターンで、宗教的です。体の強さは1930年代のハワードのヒロイック・ファンタジー 英雄コナン – Wikipedia シリーズにちなむものでしょう。アニメでは神の「声」はありませんが、怪力のスーパーマン(スーパー少年)になっています。
西方人のハイハーバーでは、反抗的な若者たちが問題になっています。ベトナム戦争・反戦運動のころのアメリカ社会が思い起こされます。
〝新社会〟のインダストリアは、旧〈平和同盟〉(おそらく東)の化学都市の残りで、食料も科学的に生産しています。警察はないが相互監視社会、点数制の能力による階級社会で、能無しや不興を買ったものは砂漠に放置されます。思想統制されていて、無神論。旗の色は赤。市民ドクター・マンスキーは知識人ということでテクノクラートの立ち位置です。こういったところが、科学的共産主義、東側の社会主義国家群を思わせます。
未来少年コナンといえば、ギガント(巨大な蛾のような飛行機または宇宙船)、ファルコ(飛行艇)、ロボノイド(強化外骨格のようなロボット)、バラクーダ号(帆船)などの様々なメカ、プラスチック再生による資源経済、仮想現実による室内公園といった印象的なものがたくさん登場しますが、これらは原作にはありません。宮﨑駿かスタッフの創造でしょう。原作ではインダストリアがヘリコプターを運用しています。また、ハイハーバーに飛行マシンが2台あり、アニメのフライングマシンにつながっています。原作ではプラスチックが構造物に多用されていますが、石油資源やエネルギーは不明です。
鳥(アジサシ)を天使に例えている文があって(p.235)、風の谷のナウシカを思い出しました。エッセンスをすくい出して創作していくのでしょうね。
登場人物や固有名詞の綴りは英語版 Wikipedia で確認できます。
- The Incredible Tide – Wikipedia, the free encyclopedia
- The West, or the Western World
- The Peace Union
- The Change
- The New Order
- High Harbor
- Conan
- Lanna
- Teacher, or Briac Roa
- Mazal and Shann
- Citizen Doctor Manski
- Commissioner Dyce
- Orlo
(2014/6/22)